能力がある者は、それを誇示する必要がない

なぜ「能ある鷹は爪を隠す」のか 

 「能ある鷹は爪を隠す」とは、よく言ったものである。「実力のある人物は、いたずらにそれを誇示することはしない」という視点は、非常に重要だ。

 この格言でいうところの「能ある鷹」が爪を隠す背景には、いくつかの要因がある。

 1つは本来の意味そのままに、獲物を確実に仕留めるために普段はその鋭利な爪を隠しておく、という有能な動物の鷹が本来持ち合わせている本能である。

 2つは、能力が高ければ十分に他人から認められ、称賛されている実感を得られている、つまり、周りの人々は既にその人物が「能ある」ことを知っているために能力を誇示する必要がない、という場合である。

 3つは、1と重複するが、「能ある」と周りに認識されていない方が好都合、もしくは不都合がない、ためにあえてしない場合だ。

 4つ目はこれまでと少し別の視点で、能力が高い人ほど高い理想を持っていて、周りが思うよりも自分が有能だと思っていないためにすることができないという場合である。

 いずれにしても、自慢話や武勇伝「爪を隠す」こと人々から称賛されることはあまりない、という皆さんがご存じの現実から鑑みても、なんだか爪は隠しておいた方がよさそうだ。

能なき鷹は爪を隠さない?

 しかし逆説的に、「能なき鷹は爪を隠さない」とは限らない。

 能力を誇示したくなる性質は、人間という種が異性を引き付けるための本能的に刻まれた欲求という側面がある。

 さらに言えば、他人から認められたいという承認欲求から、「自身が思う能力」と「周りから認識されている能力」に乖離があると感じる場合に、その差を埋めるために行われることもしばしばある。

 だが多くの場合、「爪を隠さない」人々が本当に「鋭利な爪」を持っているかは怪しい。自分を本来の姿より「大きく」見せることも動物に刻み込まれた本能の1つだからである。

 魅力ある異性として、有能な仲間として、自分よりも能力が高い敵として認められることは、私たち動物が個体として生き残る上でも、種として繁栄するうえでも、やはり重要だった。

 しかしそうはいっても、「爪を隠さない」人々は大抵、鋭い爪を持っていない。鋭いと勘違いしている、鋭さをはき違えている、鋭くないことを悟られたくない、という場合がほとんどだろう。

 いずれにせよ、「爪を隠す」ことそれ自体も、その人の1つの能力といえるだろう。理性ある人類が反映している現代において、能力をいたずらにひけらかすことはあまり賢い判断とは言えない。

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