【読書記録】『読書について』著・ショウペンハウエル
ドイツの哲学者ショウペンハウエルの著書『読書について』(訳:斎藤忍随)には、「思索」「著作と文体」「読書について」という3篇が収録されています。
ショウペンハウエルの痛烈な当時のドイツ文学への批判、そして歯に衣着せぬ物言いは実に痛快でありながら、現代日本にも通じる長きに渡る世界的な問題を鋭く炙り出しています。
彼にとって読書とは、「他人にものを考えてもらうこと」。
多読に時間を費やす人間は、次第に自分で考える力を失っていく――そう彼は警鐘を鳴らします。
当時のドイツでは、悪書の氾濫が深刻でした。自らの利益のためだけに出版社や著者が量産する本。それを鵜呑みにする「考える力のない読者」。ショウペンハウエルは、そうした構造を痛烈に批判します。
さらに彼は、言語の乱れにも警鐘を鳴らします。本来の文法や語法を無視した安易な略語や表現の乱用――その結果、言葉の精妙な機微が失われていく、こういった指摘は、まさに現代の日本語にも重なる部分があるように思います。
中でも印象的なのが、「良書を読むためには、悪書を読まぬこと」という彼の言葉です。
私自身、読書に目覚めた大学1年生の頃は多読や速読に夢中で、「月に何冊読めるか」に心を奪われていました。しかし、彼の言うように「数」ではなく「質」こそが読書の本質なのだと感じ始めました。
「古典を読む」――奇しくも、そして恐れ多くも、大学生の私とショウペンハウエルが出した結論は同じものです。一時の流行に乗った鈍愚な本ではなく、何十年、何百年と読み継がれてきた「良書」こそ読むべきだと。
実際、一冊の本から得られる価値や学びは千差万別です。数を追えば浅くなり、質を重んじれば深くなる。時間がかかっても、難解でも、良書はじっくりと、時には繰り返し読むべきだと私も思います。
現代では「国語力の低下」がしばしば話題になりますが、これはショウペンハウエルがかつて危惧したことと本質的に同じです。
言葉で考え、言葉で世界を捉える人間にとって、言語の衰えは思考力・洞察力・表現力――知性そのものの衰退を意味します。
『読書について』は、読書と知性の関係を改めて問い直す一冊です。
「本を読むとは」という問いに、痛烈に、しかし明快に突きつける本書は、まさに現代を生きる私たちへの警鐘です。
「古典」というと堅苦しく感じるかもしれませんが、本書は驚くほど読みやすく、哲学を学んだことのない方でも楽しめます。ショウペンハウエルの辛辣な言葉選びと知的な皮肉に満ちた文章は、むしろ痛快で、心地よい刺激を感じられるはずです。
本が好きな方、あるいは古典を読みたいけれど難しそうと感じている方は、まずこの一冊から始めてみてはいかがでしょうか。