医療は本当に私たちを救っているのか?

医療現場に潜む巨悪

 私たち人間は、あまりにも巨大な悪を前にしたとき、それを「あり得ない」と無意識に感じてしまうものです。
 人間がそこまでおぞましいことを考えるはずがない。仮に考えたとしても、それを実行に移せる者など存在しない――そう信じたいのです。

 多くの場合、その直感は正しいのかもしれません。
 しかし人類の歴史を振り返れば、それが現代社会によって作られた理想像に過ぎないこともまた明らかです。

 古代の生贄信仰、植民地時代の奴隷制度、魔女狩り、そしてナチス・ドイツによるジェノサイド。
 こうした事実を見れば、人間が時として想像を超える残酷さを持つ存在であることは否定できません。

 では、「人権」や「多様性」が重視される現代社会はどうでしょうか。
 一見すると進歩した社会に見えますが、がんや生活習慣病、うつ病など、いわゆる“現代病”は増え続けています。

 これは単に、文明の発達に人類の進化が追いついていないからなのでしょうか。
 もちろんその側面もあります。大気汚染、化学物質、食生活の変化――私たちの生活環境は、かつての狩猟採集時代とは大きく異なっています。

 では視点を変えてみましょう。
 増え続ける病が、医療業界によってもたらされている可能性があるとしたら、皆さんはどう感じるでしょうか。
 資本主義のもとで動く医療が、私たちから金銭を得るためのシステムへと変貌を遂げているとしたら、それを「あり得ない」と言い切れるでしょうか。


治療をすればするほど儲かるシステム

「金は人を狂わせる」――そう感じたことがある人も多いのではないでしょうか。

 資本主義はこれまで世界を発展させてきましたが、「幸福」という観点で見たとき、私たちの生活が本当に良くなってきたのかは疑問が残ります。

 例えば、コンビニエンスストアより歯科医院の数が多いという現状。
 これほど科学や医療が進歩しているにもかかわらず、病気の予防という点で、私たちは依然として無防備です。

 近年広がる「美容医療」も、こうした構造の一端かもしれません。
 本来存在しなかったはずのコンプレックスが生み出され、それを解消するための市場が拡大していく。そこには経済的な動機が少なからず関わっているようにも見えます。

 さらに、医療機関の経営が厳しさを増す中で、収益構造への依存は避けられない現実となっています。
 その結果、本来インフラであるべき医療が、経済原理と切り離せない存在になっているのです。


ゆりかごから墓場まで

「ゆりかごから墓場まで」――
 本来この言葉は、国家が国民の生活を生涯にわたって支える理想的な社会保障を意味していました。

 しかし視点を変えれば、別の問いも浮かびます。
 もし医療産業から長期的に利益を得ることを目的とするなら、どのような仕組みが考えられるでしょうか。

 命を奪うのではなく、慢性的な不調を抱えさせる。
 寿命が延びても、健康でいられる期間が延びなければ、その人生が豊かだとは言えません。

 薬や通院に依存せざるを得ない生活――それは私たちが本来望んでいた姿でしょうか。
 私たちは医療機関へと、ある意味で「ゆりかごから墓場まで」導かれているのかもしれません。

 現代病が増え続ける現状は、この構造を無視できない問題として浮かび上がらせます。

 そしてその影響は、「ゆりかご」――つまり生まれた瞬間から始まっているとも言えます。
 食品、大気、日用品――あらゆるものが複雑な利害関係の中で成り立っています。

 例えば食品産業では、添加物の使用が一般化しています。
 それらすべてが悪いわけではありませんが、効率や利益が優先される中で、健康への影響が軽視されている側面も否定できません。

 感染症やワクチンについても同様に、単純な善悪で語れる問題ではありません。
 医療の進歩が多くの命を救ってきたことは事実ですが、その裏に経済的な側面が存在することもまた事実です。

 私たちを医療へと導く構造について、ここで全てを語ることはできませんが、大きな利権が背後にあることは多くの人が認識しておくべき事実でしょう。

 では、私たちにできることは何でしょうか。

 それは、この社会の仕組みを盲目的に受け入れるのではなく、一人の消費者として主体的に選択していくことではないでしょうか。

 何を食べ、何を信じ、どのような医療を選択するのか。
 その一つひとつの選択が、社会のあり方を少しずつ形作っていきます。

 見えにくい構造に目を向け、自分なりに考え続けること。
 それこそが、この複雑な社会の中で私たちに求められている姿勢なのだと思います。

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