私の「お金」に対するマインドセット――幸福を最大化するお金との付き合い方
「お金」は「苦痛」を減らす手段に過ぎない
私たちのほとんどは、「お金」のために働いている。
この言い方は多くの誤解を生むかもしれない。だが、「金銭的な報酬が得られなくなっても、今の仕事を同じ時間続けたいか」と問われて「続けない」と答えるなら、その人は「お金」のために働いているといえる。
では、私たちは何のために「お金」を稼ぐのか。最大の理由は「生きるため」だろう。私たちは、自らの命をつないでいくためにお金を稼がなければならない社会を、生きているに過ぎない。
ここまでの話は、物事を少し単純化しすぎているかもしれない。私たち一人ひとりを取り巻く環境も、私たち自身も、簡単には理解できないほど複雑だからだ。ただ、一つだけ自信を持って言えることがある。「お金」を稼ぐこと自体を「目的」にすることほど、無意味なことはない。
「お金」を支払うことで、私たちは雨風をしのげる家で安全かつ快適に眠り、食事をとることができる。極論すれば、「お金」を稼ぐ目的は、このためだけにある。それ以外は、時代や価値観の変化が生み出した「幻影」に過ぎない。十分な睡眠と食事がとれないとき、私たちは肉体的にも精神的にも「苦痛」を感じる。その苦痛を減らすことこそが、私たちがお金を稼ぐ究極的な意味である。いま求められているのは、そのことを理解することだ。
「お金」は私たちを「幸福」にするか
では、「お金」が私たちを幸福にすることはできないのか。
これまでの話と矛盾するように聞こえるかもしれないが、実は、「お金」が私たちに幸福をもたらすことは可能である。ただし、そこには一定の限界がある。
イスラエル系アメリカ人の経済学者・心理学者のダニエル・カーネマン教授らが2010年に発表した有名な研究は、年収が約7万5000ドルを超えると、日々の感情面での幸福度は上がらなくなると示した。一方、自分の人生をどう評価するかという「人生への満足度」は、収入とともに上がり続けていた。
ところが、この通説は2023年、同教授も参加した共同研究によって修正される。新たな研究では、幸福度が頭打ちになるのは、もともと幸福度の低い一部の層に限られ、大多数の人にとっては、年収が高いほど幸福度も上がり続けるという結果が示されたのである。
「お金はあればあるほど幸福になる」。そう示唆する驚くべき研究結果ではある。だが、ここで重要なのは、幸福度がただの「感覚」に過ぎないという点だ。同じ年収800万円でも、発展途上国に住む人は幸福度が高く、先進国に住む人は相対的に低いかもしれない。ただ、それだけのことである。もっと具体的にいえば、必要以上の浪費をせず、地方で半自給自足的な暮らしに満足している年収500万円の人と、同じ年収で都市部に住み、派手に散財している人とでは、幸福度が異なるのも当然の帰結だろう。
それでも私は、お金によって得られる「幸福」など、たかが知れていると考える。コーネル大学の心理学者トーマス・ギロヴィッチ教授らによる長年の研究によれば、物を買うより経験を買うほうが、大きな満足を得られるという。第一に、経験は、物よりも容易かつ効果的に、人との関係を強める。第二に、経験は、個人のアイデンティティのより大きな部分を形づくる。第三に、経験は、それ自体の価値で評価される傾向があり、他人との比較を招きにくい。
私たちの住む消費主義社会(a consumerist society)では、物の値段に際限がない。それに対して、経験の値段には、多くの場合おのずと限度がある。だとすれば、私たちが幸福に生きるために必要なのは、物質的な幸福(と、幸福を阻害する劣等感)をいかに手放し、経験的な幸福をいかに味わうか、さらにいえば、些末な金銭的欲望に縛られずに生きられるかどうか、ということに尽きると思う。
より大きな資産を持つことで得られる幸福感には、際限がない(そして空虚である)。役員報酬を開示したところ、かえって報酬の平均が押し上げられたとする研究もある。比べる対象が見えるほど、欲望は際限なく膨らんでいくのだろう。私たちに必要なことは、すでに古代中国の思想家・老子が教えてくれている。『道徳経』の一節「知足者富(足るを知る者は富む)」、すなわち「足るを知る」ことである。
幸福を最大化するための、お金との付き合い方
人生の最大の目的は、「幸福の最大化」にあると思う。これは、イギリスの哲学者ジェレミ・ベンサムのいう功利主義的な意味――「最大多数の最大幸福」、つまり社会の目的は全体の幸福量を最大にすることだという思想――ではない。私たち一人ひとりが、それぞれの個人的な幸福を最大化するということだ。
「自分さえよければいいのか」という批判を受けそうだが、他人の幸福を犠牲にしてまで自らの幸せを追求する、という考えではない。多くの人は、周りにいる家族・友人・恋人が幸福でなければ、幸せを感じられないだろう。つまり、自分自身の幸福を追求することは、周囲の人の幸福を追求することでもあるのだ。
冒頭で述べたとおり、あくまで「お金」は苦痛を減らす手段に過ぎない。お金で買う幸福への依存を、限りなく小さくしていくこと。それが、金銭による支配を抜け出す最も確かな道ではないか。旅行や食事、読書、映画など、私たちがお金によって得ようとする幸福は千差万別である。際限なく消費を求められる消費主義社会のなかで、私たちが幸せに生きる唯一の方法は、自分が幸せを享受できる最小限の資産を築き、満足を噛みしめながら、日々を慎ましく生きていくことなのかもしれない。


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