論理では説明できないことがある
「論理的思考」の重要性は、これまで幾度となく語られてきました。しかしこれは、「論理的でないことをないがしろにしていい」という意味ではありません。
もちろん、飛躍した論理や明らかに破綻した理論の中に耳を傾ける価値があるものはそう多くはありませんが、論理というものは想像を絶するほどの広い宇宙の中で、私たち人間が認知・理解できるごく限られた事象に対する説明でしかないということも同じくらい(あるいはそれ以上に)重要です。
例えば、ニュートン力学が常識とされた時代ではアインシュタインが相対性理論を提唱するまで、時空が歪むという事象に論理的な説明は存在しませんでした。ニュートン力学全盛の時代に戻って「速く移動するほど時間が遅くなるんだ」といくら叫んだところで、論理的思考のできない異端者とみなさたことでしょう。
これと同じことは私たちが生きる現代にも言えることです。
科学がかつてないほど発展し、私たちは世界のほとんどを説明できたかのような気もしますが、量子論に代表されるように私たちにとって論理的に説明することが難しく、感覚的に理解できない発見が今なおなされています。アインシュタインでさえ、「神はサイコロを振らない」といったほどですから。
「論理では説明できないことがある」と理解することは「論理で説明できることは実はごくわずかなのでは?」と理解するための第一歩でもあります。論理に縛られると、非科学なものを受け入れられなくなり、視野狭窄に陥ります。これは専門性が高い人ほど起こりうるともいわれています。
論理性のない話を妄信しろ、というわけではありませんが、人類の英知が詰まった論理を学ぶことと同じくらいに、人類がまだ到達できない非論理に心を開くことも大切であると感じます。