過剰な殺菌・消毒・抗菌という社会の害悪

殺菌と消毒と抗菌

 私はかねてより、殺菌や消毒といったものに疑問を感じています

 現代に生きる私たちの周りには、「殺菌」「消毒」「抗菌」を謳った製品が溢れています。菌を殺し、ウイルスを除去することがまるで〝正義〟かのように語られています。

 特にコロナウイルスが猛威をふるっていた時期には、私たちにとって消毒は同調圧力やルール化によって半ば強制的に行われていました。これはコロナによるパンデミックのような特別な状況下には一定程度必要という側面もあります。

 ただ、忘れてはいけないのが、菌やウイルスは必ずしも「悪」ではないということ。私たちは彼らと共存し、その恩恵を得て生きているということは忘れてはいけません。
 誤解を恐れずに言えば、現代の殺菌・消毒文化は非常に短絡的な社会の害悪です。

 これは、日本における抗生物質の乱用などにも言えることです。「悪」を懲らしめたいという一心で、私たちにとって必要な「正義」の生命までも消し去っているに等しい現状は、非常に危険といえます。

 例えば、私たちの皮膚の上には「常在菌」と呼ばれる菌が存在し、外的刺激から身体を守ってくれています。腸の中には腸内細菌、その他にも口腔内や呼吸器、生殖器といった、私たちの身体のありとあらゆる場所に細菌は生息しています

 彼らを殺してしまうことは、私たちの生体機能を弱める行為でもあります。安易な殺菌・消毒は、アレルギーや免疫疾患の原因にもなり得るのです。

 無菌状態で幼少期を過ごした子供は、自然の中で土やそこに生きる菌に触れて育った子供よりも、身体機能面で問題を抱えることが多いとも言われています。

 人体にもともと備わる機能を弱体化させてまで、殺菌する意味ははたしてあるのでしょうか。

 少し乱暴な言い方をすれば、「ハチの中には人を刺して死に至らしめる個体もいる。だからハチはすべて絶滅させてしまおう」と言っているようなものです。

 その結果、自然界のバランスを崩し、数々の問題を引き起こすことを、私たちは見過ごしてはいないでしょうか。


殺菌・消毒を避ける

 正直に言って、コロナウイルスのような未知の病原体や、先天的な疾患などの特別な事情を除けば、必要以上に菌を排除するという考え方は非常に愚かです。

 それは短期的な「対処療法」にすぎず、長期的に見れば決して賢い選択ではありません。

 街を少し意識して歩いてみると、「殺菌」「消毒」「抗菌」を謳う製品がいかに多いかに気づきます。洗剤、ウェットティッシュ、便座クリーナー――こうした言葉を見ない日はほとんどありません。

 もちろん、衛生面に気を配りたいという人々の気持ちは理解できます。ですが、菌はこの世界のあらゆる場所に無数に存在しています。私たちの目の届く範囲をどれほど殺菌しても、それは大海に消毒液を一滴垂らすようなものです。

 「菌やウイルスの繁殖を防ぎ、ニオイを抑える」といった謳い文句を毎日のように目にしますが、それらは消費者の恐怖心を煽るキャッチフレーズでもあります。

 過剰な殺菌・消毒の繰り返しは、私たちの身体がもともと持っている自然の防衛機能を破壊します

 ただ、ここまで少し強い言葉で消毒・殺菌文化を否定してきましたが、私は殺菌や消毒の全てを否定しているわけではありません。皮膚を清潔に保ち、清潔な環境で生きることが病原菌の感染を防ぐことは紛れもない事実です。
 公衆衛生の考えに基づけば、私たちが健康に安心して暮らすためになくてはならないものです。

 しかし、何事にもいえることですが「過剰」は毒になります。まさに「過ぎたるは猶及ばざるが如し」。現代社会は既に、かつて類を見ないほど清潔です。

 確かに、狩猟採集の時代には存在しなかった現代特有の空気汚染や化学物質による汚れはあります。ですが、それに対して過度に反応しすぎる必要はありません。

 大切なのは、菌を恐れることではなく、うまく共存すること
 それが本当の意味で「健康的な生き方」なのだと思います。

 私たちの健康や心身の状態は人それぞれです。
 大切なのは、リスクと向き合いながら、私たちを生かしている微生物たちの生態系を壊さないように心がけることです。

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