「筋トレ」は誰のため?――情報社会が生みだした歪んだ価値観
「筋力トレーニング(以下、筋トレ)」とは、筋力の増強、筋肥大、運動能力の向上、健康の増進などを目的とした身体活動の総称だ。少し言い換えれば、外部からの負荷によって、筋力や筋持久力、筋量を高めることを目的とした運動を指す。この定義は明快だが、その中には、身体の構造、目的、アプローチといった複雑さが含まれている。
「筋トレ=一部の競技者のもの」という誤解
近年、SNSやYouTubeの普及で、プロのボディビルダー(以下、筋肉の「見た目」に特化した競技者を指す)やウエイトリフター(以下、数値として表れる「筋力」に特化した競技者を指す)の日常のルーティンやトレーニング法が、広く知られるようになった。これまで一般には届かなかった専門家の知識に触れられるという意味で、歓迎すべき面もある。しかし同時に、弊害も生まれている。「筋トレとは、ボディビルダーやウエイトリフターのような肉体を目指すものだ」という誤った価値観が、知らず知らずのうちに広まりつつあることだ。
多くの人が筋トレをする背景には、見た目や筋力を高めたいという動機があるだろう。その目的を極めた競技者の意見や、食事、トレーニングの方法に、学ぶべき点が多いのは、紛れもない事実だ。ただ、実際には、ボディビルダーやウエイトリフターは、筋トレをする人のなかで、ごく少数に限られる。大多数の人とは、目的も手段も根本的に異なる。特定の競技で評価される指標と、私たちが日々行う筋トレの目的は、必ずしも一致しない。この当然の事実を、もう少し意識してよいのではないか。
「より強く、大きいことこそ正義」という価値観の危うさ
こうした情報環境のなかで、特に気になるのは、「筋肉は大きいほど優れている」「扱う重量が重いほど優秀だ」という価値観が、無意識に無批判に広まっていることだ。それらの指標が、ボディビルダーやウエイトリフターにとって重要なのは、言うまでもない。ただ、あくまで、それぞれの競技の中での話だ。スポーツ科学の観点では、筋肉量や最大挙上重量が、そのままパフォーマンスの優劣を示すわけではない。
たとえば、跳躍競技(走り高跳び、走り幅跳びなど)では、競技に使われない筋量の増加は、体重の増加となり、不利に働くことがある。跳躍に必要なのは、瞬間的に大きな力を出す能力と、適切な体重管理だ。陸上競技や水泳、球技など、多くのスポーツで重要なのは、その競技に特有の筋力であり、単純な筋肉量や挙上重量の数字は、その指標にならない。
怪我のリスクにも、注意が必要だ。筋力が急に上がると、腱や靭帯の強度が追いつかず、炎症や断裂につながる恐れがあると言われる。高重量は、関節にも負担をかけ、オーバートレーニングに陥ると、慢性的な疲労、免疫機能の低下、睡眠障害などの問題が起こりうる。
競技とは無関係な一般の人が、ボディビルダーのような体型や、ウエイトリフターのような筋力を目指すことは、価値観によっては理想となりうる。しかし、基本的には、目標にすべきものではない。日常の動作を快適にこなせる体力、加齢に伴う筋肉量の低下(サルコペニア)の予防、腰痛や肩こりの軽減。そうした目標こそが、多くの人にとって、現実的な「筋トレの意義」だと言えるだろう。
一般の人にこそ「筋トレ」をしてほしい
誤解のないように書いておくと、筋トレは一部の競技者だけでなく、一般の人にとっても価値のある運動だ。
厚生労働省の「健康づくりのための身体活動・運動ガイドライン2023」は、成人に対し、筋力トレーニングを週2〜3日行うことを、推奨している。また、筋力トレーニングと死亡リスクなどの関連を調べた16の研究のメタ分析(2022年・英国スポーツ医学誌)では、筋力トレーニングをする人は、全死亡、心血管疾患、がん、糖尿病などのリスクが、10〜17%低かった。リスクが最も低くなったのは、週に30〜60分程度だった。ただし、これは観察研究の分析であり、筋トレがリスクを下げた、と断定できるものではない。それでも、「少ない時間でも意味がある」という点は、競技者を目指さない人にとって、大きな励ましになる。
偏ったトレーニングと食事が招くリスク
競技者の考え方を、そのまま一般の人が取り入れると、具体的な健康上のリスクが生じうる。
トレーニングの面では、特定の部位だけを集中的に鍛えると、筋肉のバランスが崩れ、関節への負担が増える。たとえば、胸や腕ばかりを鍛えて、背中をおろそかにすると、肩甲骨まわりの安定性が下がり、肩を痛めやすくなる、と指摘されることがある。アスリートであれば、こうした偏りが、大きな怪我に直結する場合もある。
食事の面でも、同様の問題がある。プロテイン(タンパク質)は、筋肉の合成に必要で、体をつくるうえでも欠かせない栄養素だ。ただし、競技者向けの、大量の摂取を、そのまま一般の人が真似する必要はない。腎機能が正常な健康な成人では、タンパク質を多く摂っても、腎機能が悪くなるという証拠は乏しいとされる(28件の無作為化比較試験を統合した分析)。ただし、それは、腎臓の病気がない人の話だ。腎臓に病気のある人は、タンパク質の摂取量に制限が必要な場合があるので、必ず医師に相談してほしい。
私がプロテインをやめた理由――価格・栄養・健康
また、体重を急に増やす「バルクアップ」や、体脂肪を極限まで落とす「カット」といった手法は、極端に行うと、ホルモンの働きや、精神面の健康に、大きな負荷をかけることがある。これらは、一般の人が安易に取り入れるべき方法ではない。
プロテイン市場が世界的に拡大しているのは事実だ。しかし、それは、「誰もが積極的に摂るべき」という根拠にはならない。栄養は、あくまで、食事全体のバランスのなかで評価されるべきものだ。
自分に合った筋トレを選ぶために
目的が違えば、筋トレの中身も変わる。大まかな目安を、次に示す。
- 日常を快適に過ごしたい、体力を保ちたい:スクワットやプッシュアップなど、全身の大きな筋肉を使う種目を、自分の体重で行う。週2〜3回、無理のない回数で、続けることが大切だ。
- 加齢による筋肉量の低下を防ぎたい:脚や体幹を中心に、継続できる負荷で行う。歩行などの身体活動と組み合わせる。
- 腰痛や肩こりを和らげたい:背中や体幹、お尻の筋肉を、バランスよく鍛える。痛みが強いときは、無理をせず、医師や理学療法士に相談する。
- 見た目を変えたい:筋肥大を目的にするなら、負荷と量、食事の工夫が必要になる。ただし、競技者のやり方を、忠実に真似する必要はない。
情報リテラシーとしての「自分に合った筋トレ」
ここまで述べた内容には、ボディビルダーやウエイトリフターが競技に賭ける情熱や、彼らの極限まで鍛え上げた肉体を否定する意図はない。彼らは、アスリートとして純粋に尊敬に値する存在だ。
問題は、彼らの「競技のための知識や価値観」が、普遍的な真理であるかのように流通し、文脈の違う一般の人に、無条件に当てはめられてしまうことにある。SNSでは、発信者の目的、体質、生活環境といった背景が省かれ、「結論だけ」が切り取られて広まりやすい。私たちは、その構造に、もう少し自覚的であってよいと思う。
おわりに――「自分のための筋トレ」を問い直す
この記事で伝えたいことは、シンプルだ。筋トレは、競技者だけのものではなく、あらゆる人が、自分の目的に合わせて活用できるものだ。だからこそ、他人の目的のために設計されたメソッドを、自分の目的に、そのまま使うことには注意が必要になる。
自分は、なぜ筋トレをするのか。何を目指しているのか。その問いを持ち続けることが、長く、健康的に続けるための、いちばん大切な第一歩だと思う。SNSに流れてくる「理想の体」に振り回されるのではなく、自分の体と目的に、誠実に向き合うこと。それが、情報過多の時代における、筋トレとの賢い付き合い方ではないだろうか。
本記事は、一般的な情報の紹介であり、個別の診断や運動の指導を示すものではありません。持病のある方、痛みや違和感のある方、高齢の方は、運動を始める前に、医師にご相談ください。

